携帯電話の使用は脳腫瘍リスクと関係ありません

関係ありません。ご安心あれ。
ネットでの様子を見ていると気にしている人があまりにも多いので書きます。
正確には「直接関係あるとは言えない」だが。


とりあえずは安心してよい理由↓
1)データから結論までが飛躍している
2)仮にあったとしても微々たるもの


今回の素材は以下の記事

携帯電話の脳腫瘍リスクを調べる史上最大の調査、中間報告は最悪 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ
http://www.gizmodo.jp/2009/01/post_4847.html


結論は

携帯電話を使う人は使わない人より脳腫瘍ができる確率が50%も高い

らしいが。


(ちなみに、現時点では統計的に有意ではないようなので「50%高い」ということ自体もまだ言えません。※コメント欄参照
 あと、あえて極端な書き方をしましたが、自分はこういった疫学のデータそのものに否定的な意見を持っているわけではまったくありません。安易に解釈して不安を煽ることに問題があるという風に思っているということです)【追記(09-01-10)】

■ 1)データから結論までが飛躍している


詳細な調査方法までは把握できていないので結果自体適正なものかはなんとも言えないが・・・
仮にこの結果が信用できるものであったとしても、この結果から言えることは、


「携帯電話をよく使う人はそうでない人よりも脳腫瘍がある確率が50%高かった
ということだけであって、
「携帯電話をよく使う人はそうでない人よりも脳腫瘍ができる確率が50%も高い
ではない。
この違いは大きい。


「脳腫瘍ができる確率」と書くと「携帯電話の使用が脳腫瘍を引き起こす」という風に読み取れてしまう。
しかし、これは違う。
なぜなら、この調査は、メカニズムの解明を行ったものではないからだ。
「携帯電話の使用が直接的に脳腫瘍を引き起こす」という結論は「携帯電話使用時にさらされる電磁波が脳細胞にこのように作用して、結果、腫瘍となる」ということが言えないと、導き出せない。
たとえ調査が大規模で、著名な人物が調査を行っているとしても、そんなことは関係ないのだ。


これは擬似相関の可能性がある。

擬似相関とは、AとBの間に実際は因果関係がないのに、第三者であるCによってA→Bのような因果関係があるように見えること。
たとえば今回の場合は、携帯電話の使用が脳腫瘍を引き起こしているように見えてしまうが、実際は、生活習慣が悪い人がよく携帯電話を使い、生活習慣が悪いゆえに脳腫瘍リスクが高い、といった具合に、生活習慣という別の要因が計帯電話の使用の頻度も脳腫瘍リスクも上げている可能性がある、ということだ。
もちろん生活習慣の他にもいろいろ要因が考えられる。

■ 2)仮にあったとしても微々たるもの


まだ携帯電話の使用が脳腫瘍の直接的な原因になるというメカニズム解明はされていないが、仮に携帯電話の使用が原因で脳腫瘍になるとしよう。


そもそも脳腫瘍になる可能性が低かったとしたら、どうだろう。
脳腫瘍の発生頻度は毎年約100,000人に12人らしい。

【以下、追記】
数値が正確ではない可能性があるけど、とりあえず引用元を↓

脳腫瘍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E8%85%AB%E7%98%8D

【以上、追記(09-01-09)】

約0.00012%だ。【訂正、←0.012%ですね…恥ずかしいミスをしたw】
仮に50%リスクが高いとしても、約0.00018%だ。【←同じく0.018%】


繰り返しになるが、仮に直接の原因だとしても
0.012% → 0.018%【←訂正後(09-01-10)】だ。
そして、1)で書いたように、直接の原因とは言えず、むしろ別の要因が絡んでいると考えた方が(個人的には)スッキリする。


携帯電話以外の要因が脳腫瘍リスクを上げる可能性を考慮したなら?
そしてその要因が脳腫瘍リスクを上げると同時に携帯電話の使用にも影響を与えるとしたら?


とか書いていたら、この(2)の視点で書かれているエントリがあったので参考までに。

タバコの方が大変だろ - ダイミテイ
http://d.hatena.ne.jp/hujikojp/20090106/danger_of_cellphone

■ 何となくのまとめ


擬似科学というのがメディアを通じて蔓延している現状があるが、擬似科学とは違い手法自体は科学的に適正でも、そのデータから言えることを大きく飛躍した結論が出され、あるいはメディアが曲解し、誤解を招くような情報が世間にばらまかれることもまた多い気がする。


情報化に伴って、情報リテラシーとは別に、科学リテラシーが一般人にも必要となったのかもしれない。